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    3倍になってました。
  
  1992年、中学のバスケットボール部の練習が終わると、僕は息を切らして猛ダッシュして
 家に帰る。家からはチャリンコを飛ばして最寄り駅へ。走って駅の階段を駆け上がり、電車に
 飛び乗る。夕方の6時半を過ぎる頃だろうか。
  行き先は阪神甲子園球場。甲子園の駅から猛ダッシュ、何とか7時半ごろにはライトスタンド
 に到着する。ゲームは6時開始、大体いつも3回の裏か4回の表あたりである。先に着いてい
 る友達が試合経過を教えてくれる。
  照明塔に照らされ、キラキラと輝く外野の芝。ライトのポジションにはこの男の背中があった。
d0003671_19462152.jpg  背番号00.亀山 努である。
忘れられない飛躍の92年。それまで最下位が指定席
だった阪神タイガースは優勝争いに加わる。
 2年連続2軍の首位打者となった亀山は、背番号を
67から00に変え、一気にチームの牽引車になる。
 守備では迷うことなく頭からボールに飛び込んでいき
攻撃では常に次の塁を目指してヘッドスライディングを
見せた。新庄やオマリー、パチョレックらが打線の軸を
担い、亀山のガッツに引っ張られるようにしてチームが
大変貌を遂げたのである。
 優勝こそ逃したが、虎ファンは完全に活気を取り戻し
タイガースの話題が街中を染めた。
 
  常に着用していたスポーツ用に縁無しメガネは大流行し、ユニフォームのパンツの裾を膝の
 高さまで上げるスタイルが野球少年のあいだで流行る。
  亀山熱は上昇するばかりだった。しかし、観客をうならせるハッスルプレーが災いし、翌年か
 らの亀山は大怪我との戦いを続けることになる。右肩の脱臼、腰椎の骨折。 それらが亀山の
 持ち味を次第に奪っていった。
d0003671_20165880.jpg  
  97年、タイガースは亀山に戦力外通告。
 ファンは涙を流して、チームに対する抗議
 活動を行った。 引退試合、亀山は最後の
 打席でも一塁に向けヘッドスライディング。
  翌日のスポーツ紙ではその写真が一面
 を飾る。「涙。最後のヘッドスライディング」
  その新聞は今でも僕の家に大切に保管
 してある。あの楽しい思いは忘れない。

  そんな亀山さんがパーソナリティをつと
 めるラジオ番組(大阪・毎日放送)に先日
 呼んでいただきました。
  初めてお会いさせていただく機会だった 
 のでワクワクしながらスタジオへ。当時の思いをお伝えすることもでき、相当嬉しかったです。
  楽しくトークも進めていただいて、最後に記念撮影まで!亀山さん、3倍ぐらいにフクヨカに
 なっていらっしゃいました。
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by h_arima3 | 2007-01-16 20:40 | Football総合
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