私が振り向いたのとほぼ同時に自動扉が閉まった。その寸前のほんの僅かな瞬間だけ
だったが、こちらを見ていたE席の男と明らかに目が合った。
心中が揺れる。すぐに座席に戻ったほうがいいのだろうか。いや、心配をしすぎなのだろ
うか。品川駅で乗車してからこれまで、決して長い時間とはいえないが、あの男とコミュニ
ケートしてみた感触を信じるならば…。いやいや、これまでの彼の私に対する言動が、もし
かすると何やらの布石だった可能性も無きにしも非ず。
閉まった自動扉から5~6歩の距離にあるトイレまで、9歩ほどを費やしながら考えていた。
トイレのドアの前に立ったとき、再び自動扉の開く音が背中に聞こえた。反射的に、機敏
に私の首が回る。すると、扉から出てきたのは、他でもないチューハイの缶を片手に握る
ネパール人だった。
「トイレネ、同じネ。」 酒が進んでいた彼もおそらく、トイレに行きたくなり始めていたのだ。
ただ、富士山を通過したあとから、私がまたうとうとしているのに気がついていた彼は、同じ
タイミングで用を足すことによって私の邪魔をしないよう気遣いをしてくれたのだろう。あれだ
け体がふっくらしていたら、私を起こさないように膝の上を跨ぐのも難しいはず。
なるほど、どうりで席を立ってトイレに向かう私をジロリと見ていたわけだ。少しでも猜疑心
を抱いた自分が、ちょっと恥ずかしかった。
10番E席に座る彼は、D席の私よりも早く用を済ませて先に戻ってくれていた。「有難う。」
とは言わなかったが「もしそうであれば有難う。」という意味を込め、私は軽く会釈した。
彼の表情を見る限り、「そう」 だったようだ。
品川駅から新大阪駅までの2時間28分。私は当初、そのうちの大半を睡眠に充てようと
考えていた。のぞみ117号は寝過ごしの心配がない新大阪行きである。しかし既に列車は
1時間と少々を走り、すいすいと名古屋駅に向かっている。眠るにしては中途半端な残り時
間となってしまった。
こうなれば、とことん隣の男と話してみよう。そういえば、彼の名前もまだ聞いていないし、
これから彼が関西国際空港で再会するのは男の子なのか、女の子なのか、何歳なのかも
聞いてみよう。いろいろ話せば、ネパールという国のことが少しぐらいは分かるだろうし。