1994年の1月3日、僕は初めてライスボウル(アメリカンフットボール日本選手権)を観戦
しました。学生日本一と社会人日本一が対戦して、真の日本一を決めるゲーム。
関西学院大学vs
アサヒビール シルバースターという対戦でした。試合は終盤に逆転した
関西学院が勝ったと思われたのですが、劇的な再逆転で試合を締めくくったシルバースターが
28対23で勝利しました。
そのとき、ドラマティックな最後の攻撃を猛烈な集中力で率いていたのが、シルバースター
のエースQB(クォーターバック)東海辰弥さんでした。前年に大阪の箕面高校でアメフトを始め
たばかりだった僕は、この試合の東海さんの動きをビデオで何度も見ました。
数日後にNHKのスポーツ番組に出演された東海さんが、その逆転劇を振り返って、プレー
の解析や心情の動きについて話されているのを聞き、フットボーラーとして、QBとしての大事な
心得というものを強く感じました。
「とにかく、頭を使わなければならない。」東海さんの言葉が僕のひとつの転機となり、その日
から僕はフットボールを学ぶことに明け暮れました。
いかにボールを進めるか、いかにパスを通すか、いかに勝つか。学ぶことにより、チームが、
そして自分が生まれ変わると信じていました。
高校1年・2年のとき、試合に勝つことを全くといっていいほど経験しなかった僕は、同学年の
チームメイトと「最後の年は絶対に勝とう。強いチームを倒したい。」と話していました。
よく考えて戦えば、勝てる。そう信じていた僕らは、日夜知恵をはたらかせて、案を持ち寄り、
勝つ術を練り続けました。選手個々の役割徹底や対戦相手の研究など、それまでやってこなか
ったことを思い切ってやりました。
そして1995年、箕面高校にワンダーイヤーが訪れます。いままで勝てなかったチームが
重ねる勝利に周囲は驚き(自分たちも驚きましたが)、どうしても倒したかった私立の強豪にも
勝つことができました。年間13勝を挙げた箕面高校が上り詰めた関西の決勝戦、その相手は
フットボールの超名門・関西学院高等部でした。11月23日(ちょうど10年前ですね)、雲の上
の存在だったチームとの対戦を迎えます。
11月21日、試合の2日前のことでした。箕面高校に、1枚のFAX が届きました。
(後編につづく)